『2001年宇宙の旅』(原題:2001: A Space Odyssey)映画

『2001年宇宙の旅』(原題:2001: A Space Odyssey)映画 一点透視投影エンターテインメント

基本情報
監督:スタンリー・キューブリック
製作:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク
撮影:ジェフリー・アンスワース
編集:レイ・ラヴジョイ
主演:キア・デュリア、ゲイリー・ロックウッド、ウィリアム・シルベスター
製作元:スタンリー・キューブリック・プロダクションズ
配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
予算:1200万米ドル
興行収入:1億4600万米ドル
製作国:アメリカ、イギリス
公開:1968年
ジャンル:アクション・アドベンチャー、ヒューマンドラマ、SFファンタジー
上映時間:142分、149分、161分

目次

『2001年宇宙の旅』(原題:2001: A Space Odyssey)映画 基本情報
目次
作品紹介
後世への影響『2001年宇宙の旅』
『2001年宇宙の旅』のシリーズとスピンオフ
受賞歴『2001年宇宙の旅』
スタンリー・キューブリックの妥協を許さない映画づくり
参考資料と準備
活発な宇宙開発
困難を極めた脚本
カメラ撮影へのこだわり
オーディオの模索
審美への砕心
受賞を勝ち取ったエフェクト作り
謎の宇宙の比喩「モノリス」
人間のようなAIコンピューター「HAL9000」
複雑な反響
主観的な意味
50年周年記念の特別イベント
出演者・スタッフリスト
プロット
著者:長田拓也 Takuya Nagata

『2001年宇宙の旅』

作品紹介

『2001年宇宙の旅』は、スタンリー・キューブリックが製作・監督を努めたSF映画だ。スタンリー・キューブリックは、本作でSF映画づくりを変えたと言われている。

『2001年宇宙の旅』は、文学的なサイエンス・フィクションのジャンルの認知と人気を高めた。この映画の成功により、その後、大規模な予算のSF映画が多く製作されるようになった。

『2001年宇宙の旅』は、先史時代から未来への壮大なスケールで技術の進歩といった人類の進化を描くことで、宇宙における人類の位置を示すことを意図している。スタンリー・キューブリックは「人類とは何か」という実に深い題材に光を当てた。

脚本はスタンリー・キューブリックとアーサー・C・クラークによって書かれた。 『前哨』等、アーサー・C・クラーク作の物語から多くの要素が使われた。

映画が公開された1968年には、同名の小説『2001年宇宙の旅』も出版された。クラークは後に「キューブリックは神話を創ることを望み、それを成し遂げた」と述べている。

映画では、人々が月に謎の石版(モノリス)を発見する。AIコンピューターで制御された宇宙船がクルーを乗せ、さらなる調査のために木星への旅に出る。

事前に録画されたブリーフィング動画でヘイウッド・フロイド博士が話すのを、デビッド・ボーマン船長は観る。フロイド博士は、HAL 9000だけが知っている極秘任務について説明する。初となる地球外の知的な生命の証拠が、この任務の18カ月前に発見された。400万年前のものとされる黒い月のモノリスが、木星に向けて一度だけ強力な電波を放った。モノリスの起源と目的は謎に包まれており、真のミッションは現地で手がかりを探すことだった。

この映画は、宇宙を壮大なスケールの時間と空間で描いている。映画の主なテーマは、地球外生命体、実存主義、知的生物の進化、そして核や人工知能といったテクノロジーと人間の関係だ。

この映画は、宇宙の科学的事実に従い、視覚効果に注意を払っていることでよく知られる。多くのシーンで、スタンリー・キューブリックは、言葉によるナレーションや会話をなくして、画像とサウンドに依存した。あまりに野心的で、一部の人々には理解することが出来なかったくらいだ。

サウンドトラックには、クラシック音楽の多くの楽曲が使用された。サウンドトラックは、シーンと正確に同調していないが、キューブリックはそれを気に入った。物語は、しばしば曖昧であり、観客の解釈は異なる。キューブリックは「無重力トイレ」が『2001年宇宙の旅』の唯一のジョークだと述べている。

アメリカ議会図書館は、この映画を文化的、歴史的、審美的に重要であると考え、国立フィルム登録簿に保存している。『2001年宇宙の旅』は、バチカン市国の最も偉大な映画45作品のアート部門に選出されている。英国映画協会(BFI)の史上最高の映画トップ10入りするのに1992年まで要し、2012年には小津安二郎の『東京物語』に次いで2位になった。

『2001年宇宙の旅』は、金字塔を打ち立てた史上稀なる非凡なSF映画として評価されている。スタンリー・キューブリックは、映画『2001年宇宙の旅』を、内面の潜在意識に直接浸透する非言語的で感情に訴える哲学的な体験にすることを意図した。

後世への影響『2001年宇宙の旅』

『2001年宇宙の旅』はリドリー・スコット、ジョージ・ルーカス、スティーヴン・スピルバーグ、ウィリアム・フリードキン、ジェフリー・ジェイコブ・エイブラムス等、後世の映画製作と特殊効果に大きなの影響を与えた。

『2001年宇宙の旅』のシリーズとスピンオフ

ピーター・ハイアムズは、アーサー・C・クラークが書いた小説『2010年宇宙の旅』を基にした『2001年宇宙の旅』の続編映画を製作した。

スタンリー・キューブリックとアーサー・C・クラークは、ピーター・ハイアムズがもう一つ映画を作るという提案を支持し、カメオ出演した。

宇宙の旅シリーズ

映画:
『2001年宇宙の旅』
『2010年』

小説:
『2001年宇宙の旅』
『2010年宇宙の旅』
『2061年宇宙の旅』
『3001年終局への旅』

短編小説:
『前哨』
『地球への遠征』(『夜明けの出会い』)

漫画:
『2001年宇宙の旅』(トレジャーエディション)
『2001年宇宙の旅』(シリーズ)
『2010』

スピンオフ

『失われた宇宙の旅2001』

『宇宙の旅シリーズ』小説に基づく小説:
『時の眼―タイム・オデッセイ』

受賞歴『2001年宇宙の旅』

アカデミー賞:
監督賞ノミネート(スタンリー・キューブリック)。
脚本賞ノミネート(スタンリー・キューブリック)。
脚本賞ノミネート(スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク)。
美術賞ノミネート(アンソニー・マスターズ、ハリー・ランゲ、アーネスト・アーチャー)。
視覚効果賞受賞(スタンリー・キューブリック)。

英国アカデミー賞:
作品賞ノミネート(スタンリーキューブリック)。
美術賞ノミネート(アンソニー・マスターズ、ハリー・ランゲ、アーネスト・アーチャー)。
撮影賞受賞(ジェフリー・アンスワース)。
音響賞受賞(ウィンストン・ライダー)。
国連賞ノミネート(スタンリー・キューブリック)。

シネマ・ライターズ・サークル賞(スペイン):
最優秀外国映画賞受賞(『2001年宇宙の旅』)。

ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(イタリア):
最優秀外国映画賞受賞(スタンリー・キューブリック)。

全米監督協会賞:
長編映画監督賞ノミネート(スタンリー・キューブリック)。

ヒューゴー賞:
映像部門受賞(『2001年宇宙の旅』)。

カンザスシティ映画批評家協会賞:
作品賞受賞(『2001年宇宙の旅』)。
監督賞受賞(スタンリー・キューブリック)。

ローレル賞:
最優秀ロードショー受賞(スタンリー・キューブリック)。

ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞(米国映画批評会議賞):
トップ10映画10位。

スタンリー・キューブリックの妥協を許さない映画づくり

スタンリー・キューブリックは予定の予算を超え、スケジュールは遅れに遅れた。メトロ・ゴールドウィン・メイヤーの重役は、製作の進み具合をよく知らず苛立っていた。完璧主義者のスタンリー・キューブリックは、4年間の秘密の映画製作の間、1日18時間を費やした。特に最後の2年間はプレミア直前、最後の最後まで苛烈を極めた。

スタンリー・キューブリックは、説得力のある映画を作るという強い決意を持っていたに違いない。アーサー・C・クラークに何度も何度も脚本を作り直すように要請した。スタンリー・キューブリックは、途中で作家を入れ替えることさえ考えた。アーサー・C・クラークの他に、脚本作成の候補者に挙げられた作家には、マイケル・ジョン・ムアコック、ジェームズ・グレアム・バラード等がいた。

キューブリックとクラークの話し合いは、まるでトークマラソンの様相を呈した。キューブリックは、おそらく今まで出会った中で最も知的な人物だとクラークは述べている。キューブリックはまた、まったく容赦がなかった。クラークは後に述懐。「スタンリーとのセッションを終えるたびに私は、ぶっ倒れた」

音楽に関してスタンリー・キューブリックは、以前から長い協力関係があったにも関わらず、通知なしにアレックス・ノースの楽譜を没にした。

『2001年宇宙の旅』が製作された1960年代、コンピュータグラフィックスは映画製作に使用されていなかった。スタンリー・キューブリックは視覚画像の作成において妥協を許さず、時には緊張を引き起こしました。

スタントマンはポッドのアームに強打し、痛みに耐えなければならなかった。このショットは、フランク・プールが宇宙に浮かんでいるように見せるために、4倍のスローモーションで回された。それはデビッド・ボーマンがプールを受け取るシーンだ。

宇宙空間に浮かぶ宇宙飛行士を撮影する際、天井から吊るし、ケーブルを体の後ろに隠した。宇宙遊泳を演じたビル・ウェストンは、安全確保のためにもう1本のケーブルを要求したが、スタンリー・キューブリックは拒否。スタントマンは硬い床から約10メートル上に吊るされたが、実際にケーブルが断線し、あわや重大な事故に発展するところだった。キューブリックはヘルメットに呼吸する穴を開けることも認めず。その結果、スタントマンは酸素欠乏症に苦しみ、一時は意識を失った。スタントマンは激昂し、キューブリックは数日間スタジオから姿を消した。この件の後、製作はしばらく停止した。

回転セットにも安全上の問題が発生した。照明は逆さにすると耐えられず、しばしば爆発した。熱され飛び散るガラスの破片に対して、キューブリックのクルーは保護帽を被った。

『2001年宇宙の旅』のアドバイザーでマサチューセッツ工科大学のAIの専門家であるマービン・ミンスキーがある日、映画スタジオに立ち会った。キューブリックはスタッフに回転セットを回すように伝えたが、重いレンチがその著名な科学者の近くに落下。工具が頭に直撃していたら、深刻な結果を招いた可能性がある。

豹が攻撃する一連のシーンで、月を見るもの役を演じたダニエル・リクターは、スタンリー・キューブリックが檻に入ったまま監督する中、映画スタジオで本物の豹を相手に取っ組み合った。豹の目にプロジェクターの光が反射したが、キューブリックは幸運なアクシデントだと考えた。

一部のシーンは技術的に間違っている。ボーマンは深呼吸をしてヘルメットなしで宇宙船に戻る。アーサー・C・クラークは後に、宇宙の真空状態が肺に損傷を与えるのを避けるために、ボーマンは息を吐き出すべきだと認めた星々の構図が科学的に正しくない場合があるとも言われているが、天文学者が見ない限り目にはつかない。

人類はアフリカで生まれたと一般的に考えられている。しかしスタンリー・キューブリックは、オープニングの一連のシーンでアフリカに生息していない動物であるバクを撮影した。これは、キューブリックの優先事項が科学的な正しさではなく、視覚的な正しさであったことを示している。キューブリックは、バクのユニークで未来的な外観を気に入ったのかもしれない。この動物は比較的、安全に扱うことが出来る。小説版では、イボイノシシが猿人と共に登場する。製作チームはまた、馬をシマウマのように塗った。

『2001年宇宙の旅』には、スタンリー・キューブリックの代名詞である一点透視投影を見ることが出来る。スタンリー・キューブリックはキャリアの初期に写真家だったことが、映画製作方法と美学に影響を与えた可能性がある。写真は伝統的に、サイレントな一点の視点に固定された画像だ。

スタンリー・キューブリックは、必要最低限のみの説明をすることで、すでにペースの遅い映画の中にふんだんに間を保った。若しくは、必要最低限の説明も意図的にしなかったかもしれない。それは観衆が不思議に思い解釈を探すことを促す。スタンリー・キューブリックは表現を最小限に抑えたが、それはミニマリズム的な映画製作で高名な日本の映画監督である小津安二郎と多くの類似点があるかもしれない。

イントロダクションは、真っ暗の中で音楽から始まる。映画の終わりには4分間の暗闇がある。それは、おそらく宇宙にいるような感覚を与えるために、映画の一部にしているはずだ。

スタンリー・キューブリックは、意図的に会話を平凡なものにしている。会話部分は40分にも満たない。映画『2001年宇宙の旅』は、オープニングの25分間とエンディングの23分間にセリフがない。全体で約88分間は、会話がないのだ。

スタンリー・キューブリックは、映画に緊張感を持たせて観客の注意を引くためだけのショットを使うことを避けた。誰もがスタンリー・キューブリックのアプローチを楽しむことが出来たわけではない。多くの出席者が、まごつき戸惑い、やがて立ち上がり、プレミア上映を後にした。視聴者に親切で理解しやすいエンターテインメントではなかった。しかし一握りの人々は、この映画の真の価値を理解していた。それはキューブリックが作ることを狙ったとおりの崇高なアート作品だった。『2001年宇宙の旅』は、半世紀以上も経た今日でも、とても需要がある。それはスタンリー・キューブリックが、真に不朽の名作を作り遂げたことを雄弁に示している。

スタンリー・キューブリックは、ナミビアのロケーション撮影には行かなかった。そこではキューブリックのクルーが、一連の「人類の夜明け」シーンの背景となる写真撮影を行った。さらにキューブリックは、プレミアのためにイギリスからアメリカへ客船クイーン・エリザベスで航海した。キューブリックは船上で映画編集に取り組み続けた。

スタンリー・キューブリックは、かつてパイロットのライセンスを有していたが、飛行機恐怖症だったと言われている。スタンリー・キューブリックも、映画に描かれているように、空に好奇心と畏怖を抱いていた可能性がある。

『2001年宇宙の旅』は、映画が描く時間のスケールのように、時代を超えた魅力がある。

参考資料と準備

スタンリー・キューブリックは、しばしば既存の小説を基に映画づくりをした。しかし妥当な本が見つからなかったため、作ることにした。スタンリー・キューブリックとアーサー・C・クラークは、宇宙に関するたくさんの本を調べ上げた。

当初、キューブリックは、まず小説を出版し、それに基づいて映画を作ることをクラークに提案した。しかし、プロットづくりの進展に時間がかかり、キューブリックがプレミア上映までストーリーを秘密にしておくことを好んだこともあり、その計画は逆になった。クラークは、映画公開後の小説出版に動揺した。しかし、それは観客を惑わせて潜在意識に到達するというキューブリックの狙いのためには、うまく働いた。同時に、その映画の曖昧さは多くの人々を当惑させた。小説版は、そのいくつかの疑問に対する答えを提供している。

『2001年宇宙の旅』は、スタンリー・キューブリックが住んでいたイギリスで主に撮影と編集が行われた。キューブリックは、MGMブリティッシュ・スタジオとシェパートン・スタジオを使用した。映画の資金提供と配給は、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーが行った。

スタンリー・キューブリック監督は、地球外生命に興味を持っていた。キューブリックは、1956年に公開された島耕二監督の『宇宙人東京に現わる』といった日本の特撮映画を観て、SF映画の製作に興味を持ち始めた。

ロマン・クロイターとコリン・ローが監督を務めた1960年のドキュメンタリー映画『ユニバース』(Universe)、そして1964・1965年のニューヨーク万国博覧会で上映された映画『月そしてその先へ』(To The Moon and Beyond)は、スタンリー・キューブリックにとって強烈なビジュアルの参照となった。短編映画『ユニバース』(Universe)は、地球の向こうに太陽が昇るシーンに影響を与えた。キューブリックは、現実的な宇宙体験を表現する方法を模索し、実際にコリン・ローにカメラワークについて提案を求めた。

有名なホイール型の宇宙ステーションは、1955年の映画『宇宙征服』(Conquest of Space)にも登場する。

スタンリー・キューブリックは、無重力や回転する宇宙ステーション等、1957年のパヴェル・クルシャンツェフのドキュメンタリー映画『星への道』(Doroga k zvezdam; Road to the Stars)の影響を受けたと言われている。俳優の体の背後にワイヤーを隠しカメラを垂直にした撮影は、スタンリー・キューブリックの革新的な方法だった。しかしパヴェル・クルシャンツェフは『2001年宇宙の旅』の10年前に同じ手法を用いていた。

象徴主義とモノリスは、ジョルジュ・ヤトリデスが1951年以来、人類と超自然的な力(神)とのつながりをキャンバスに描くのに使っていた。『2001年宇宙の旅』に登場するモノリスは、ジョルジュ・ヤトリデスのアート作品に似ていることが示唆されている。その映画が、このアーティストの影響を受けた可能性は十分にある。

スタンリー・キューブリックは、ステレオタイプの初期SF映画と異なる自分自身の映画作りを目指した。そこでホメーロス作『オデュッセイア』を文学的な価値と映画のタイトルとして使った。ホメーロスの『オデュッセイア』では、オデュッセウスがギリシャ神話のポリュペーモスである一眼のキュクロプスに苦しむ。『2001年宇宙の旅』では、デビッド・ボーマンが一眼のAIコンピューターであるHAL 9000と対峙する。オデュッセウスは腕のいい射手であり、デイブの苗字はボーマン(射手)だ。これらは2作品の類似点といえる。

スタンリー・キューブリックは漫画『鉄腕アトム』に感銘を受け、作者の手塚治虫にアート監督を依頼した。手塚は当時すでに多くの仕事を抱えており、日本とイギリスを移動するのは容易ではなかった。したがって、手塚は申し出を断らざるを得なかった。手塚は完成した映画が気に入って、仕事の最中にサウンドトラックを楽しく聴いているとキューブリックに語ったという。

スタンリー・キューブリックは『月そしてその先へ』(To The Moon and Beyond)を製作したグラフィック・フィルムズ・コーポレーションをデザイン・コンサルタントに任命した。

イラストレーターのチェスリー・ボーンステル、ロイ・カーノン、リチャード・マッケナは、スタンリー・キューブリックのリクエストに応じてコンセプトアートを作成した。

グラフィック・フィルムズ・コーポレーションのコン・ペダーソン、レスター・ノヴロス、ダグラス・トランブルは、宇宙科学に関する注釈付きのコンセプトアートを作成した。また『2001年宇宙の旅』の宇宙航行シーンのストーリーボードを作成し、ダグラス・トランブルが特殊効果スーパーバイザーに任命された。

『2001年宇宙の旅』は、1964年に公開されたスタンリー・キューブリックの前作『博士の異常な愛情/または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』と類似性がある。いずれの映画にも、米国とソ連の冷戦という社会背景がある。キューブリックは実際のところ『2001年宇宙の旅』の初期のアイデアを『博士の異常な愛情』と違いを出すために変更した。『2001年宇宙の旅』の小説版では、核兵器が爆発するが、映画版では爆発は見られない。

『メイキング・オブ・’2001’』(The Making of ‘2001’)は『2001年宇宙の旅』と同じく1968年に公開された短編プロモーション映画だ。『2001年宇宙の旅-未来の裏側』(2001: A Space Odyssey – A Look Behind the Future)は、1966年に公開されたプリプロダクションのドキュメンタリー短編映画だ。これらの作品は、映画づくりの舞台裏について説明している。映画のポスターには、キャッチコピー「究極の旅」(The ultimate trip)が使用された。

シカゴ・ヒューマニティーズ・フェスティバルで、マイケル・ベンソンが自著について講演「ザ・メイキング・オブ・2001年宇宙の旅」:

活発な宇宙開発

『2001年宇宙の旅』が製作された1960年代、宇宙開発は非常に活発だった。NASAのジェミニ計画は1961年から1966年にかけて実行された。1967年1月にアポロ1号の火災が発生し、3名の宇宙飛行士が死亡した。無人のアポロ6号のミッションが1968年4月4日に打ち上げられた。この映画は1968年5月に公開され、まるでアポロ1号の悪夢を再現したかのようだった。

スタンリー・キューブリックは、月のセットを作るために砂を灰色に染めた。月の重力は地球の約6分の1。映画では、宇宙飛行士が月面を動き回る際、地球の完全な重力があるように見える。映画の公開は、実際のところ1969年にアポロ11号が初めて月面着陸する1年前だった。したがって、スタンリー・キューブリックは、月面を歩くことがどの様なものか、十分な参考資料がなかった可能性がある。

スタンリー・キューブリックは、天文学者のカール・セーガンに、地球外生命体の描写方法について意見を求めた。キューブリックは、俳優を人型のエイリアンに見せるアイデアを共有した。セーガンは、地球外生命体は地球上で見られる生き物とは完全に異なる形をしている可能性が高いと語った。セーガンは、それらを視覚的に説明するかわりに、宇宙の超知性の存在をただ示唆するようにアドバイスした。スタンリー・キューブリックは、知的生命体が肉体を持たず、エネルギーと全能を備えた神のような生き物に進化したのではないかという考えを思いついた。

製作期間中に、地球外生命の証拠の可能性についてのニュースが流れた。キューブリックは、自分の映画が公開される前に本物の異星人が地球に現れるのではないかと心配した。キューブリックは、映画が台無しになった場合に損失をカバーするためにロイズ銀行で保険を探したとアーサー・C・クラークは述べている。しかし見積もられた数字は天文学的なもので、キューブリックは運に任せて仕事を続けることにした。 それから間もない1965年にNASAの探査機マリナー4号が火星に接近した。深宇宙で初めて撮影された惑星の画像は、クレーターが点在し、生命を想像すらできない荒野の世界を映し出していた。

キューブリックは語った。「現在の科学で信じられている、宇宙には知的文明がたくさんあるという考えに興味を持った。映画の内容は、その物語を信じるのを促すだろう。しかし科学者たちは今、1000億の星々が私たちの銀河にあり、目に見える宇宙に約1000億個の銀河があることを掴んでいる。要するに宇宙には星がたくさんあり、あちこちで生命が進化する可能性がある。100万分の1の可能性だとしても、宇宙には何億もの世界が存在することになる」

困難を極めた脚本

スタンリー・キューブリックは、スリランカに住んでいたイギリス人のサイエンス・フィクション作家、アーサー・C・クラークと脚本の執筆に取り組んだ。クラークは熱心なスキューバダイバーで、トリンコマリーの海底にあるコネスヴァラム寺院の壊れた遺跡を発見した人物でもある。

クラークは、宇宙は無限の知識の源であり、暗黒時代に終止符を打ったルネサンスのように、人間の文明を変えるかもしれないと述べている。

クラークは英国惑星間協会の会員であり、英国空軍のレーダーエンジニアとして第二次世界大戦のヨーロッパ戦線でも戦った。キューブリックは科学的に正確な宇宙映画を作ることを意図していたため、宇宙について強い関心と知識があったクラークは理想的な作家だった。

キューブリックは、人間と宇宙の関係について映画を作る決意を示した。クラークは、それが驚嘆、畏怖、さらには恐怖の感情を喚起するアート作品だと理解した。クラークは6冊の短編小説を提案し、キューブリックは脚本の主な資料として『前哨』を使うことにした。オープニングシーン「人類の夜明け」のアイデアは、クラークの短編小説『地球への遠征』(『夜明けの出会い』)から生まれたと言われている。

1964年、キューブリックとクラークは、科学、人類学、SF映画を調べ、最終的なプロットに追加する要素を生み出す手がかりを探した。クラークの短編小説と様々なアイデアが脚本に合わさった。

キューブリックとクラークは当初、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーが配給した『西部開拓史』(How the West Was Won)にちなんで、この映画を『太陽系開拓史』(How the Solar System Was Won)と呼んでいた。

この映画のタイトルとして検討された候補には『星の海を越えて』(Across the Sea of Stars)、『地球脱出』(Earth Escape)、『地球への別れ』(Farewell to Earth)、『木星の窓』(Jupiter Window)、『プラネットフォール』(Planetfall)、『星々へのトンネル』(Tunnel to the Stars)、『宇宙』(Universe)といったものがある。1965年、キューブリックは『星のかなたへの旅』(Journey Beyond The Stars)というタイトルを明らかにした。その後『2001年宇宙の旅』(2001: A Space Odyssey)に変更した。

『2001年宇宙の旅』の映画版と小説版は、同時進行で製作されたもので、一定の違いがある。キューブリックは、観客が味わい解釈を入れる余地をつくるべく、意図的に『2001年宇宙の旅』を抽象的にした。キューブリックは、セリフを少なくし、映画が曖昧になることを志向した。キューブリックは、写真や音楽と同じように、観客が不思議に思いながら答えを探すことを促すために、非言語的な作品を作る方を好んだのだ。

映画は言葉での説明が少なく、視覚と音の体験に頼っているが、小説は文章による詳細を含んでいる。クラークは、モノリスとスターゲートについてより具体的に説明している。小説が活字の形体をコミュニケーションに用いていることが一因だ。

キューブリックの意見はより多く脚本に反映され、クラークはよりイニシアチブをとって、自身のアイデアを小説版に含めた。キューブリックとクラークは意見の相違があり、時に作業を進めるのに苦労したと言われている。クラークは脚本に非常に多くのオプションを書いたが、一つ以外はキューブリックによって没にされた。クラークはまた『2001年宇宙の旅』に取り組んでいる間に記録をとり、1972年に未使用の脚本と共に『 失われた宇宙の旅2001』を出版した。

当初、宇宙飛行士は誰も殺されるはずではなかった。長い議論の末、キューブリックとクラークは、最終的にデビッド・ボーマンが唯一の生存者で、赤ん坊に変わると決めた。

キューブリックは、以前の映画ではナレーションを使用していた。しかしキューブリックは、さらに直感的な体験にすべく、最終的な脚本では多くのセリフとナレーションを取り除いた。

モノリスは最初、透明な結晶だったが「人類の夜明け」の撮影で見栄えが良くなかったため、黒いものに置き換えた。

キューブリックと特殊効果チームは、土星の周囲の環の描画に満足がいかなかったため、宇宙船ディスカバリーワンの目的地は土星から木星に変更された。

冷戦、そして米国とソ連の核兵器による均衡は、以前のアイデアでは、より顕著だった。元々、スターチャイルドは地球を周回する衛星に取り付けられた核爆弾を破裂させる予定だったが、キューブリックが以前に製作した映画『博士の異常な愛情』に似ていると感じたため、そのシーンは破棄された。最終的な映画に入れられなかった多くのシーンを、小説版では見ることが出来る。

撮影の間もプロット要素が根本的に変更され、映画製作の終盤の段階まで、ストーリーづくりを続けることになるとは、キューブリックとクラークは想像していなかった。それは非常にまれなケースだったと言えるだろう。

カメラ撮影へのこだわり

スタンリー・キューブリックは、アスペクト比1.85:1で映画撮影することを計画した。キューブリックのコンサルタントであるロバート・ガフニーは、アスペクト比2.20:1が直観的だと提案し、キューブリックはそのアイデアを受け入れた。『2001年宇宙の旅』は、70mmフィルムで撮影された最も初期のSF映画の部類に入る。

撮影は1965年にイギリスで始まった。「人類の夜明け」シーンの背景に使われた写真は、ナミビアで撮影された。スタンリー・キューブリックは、1968年の公式公開のわずか数日前に映画の最終カットを行った。スケジュールは16カ月遅れ、予算は元の650万米ドルの約2倍に膨れ上がったと言われている。

スタンリー・キューブリックは、ペンが浮かんでいるシーンのエフェクトを模索した。何カ月にも渡るあらゆるテストが失敗し、透明なガラスシートに両面テープを使ってペンを付けることにした。客室乗務員は、ペンを引っ張るようにしてペンを掴んだ。ガラスからの光の反射をわずかに見ることができる。

ヘザー・ダウンハム演じる客室乗務員が宙に浮かんでいるペンを拾いヘイウッド・フロイド博士に渡すシーンでは、歯痛と鎮痛剤の効果で、よろめき千鳥足だった。薬のことを知らないスタンリー・キューブリックは、宇宙のような不自然な動きが気に入り、それを最終的な映画に採用した。

映画製作の大量のネガは、スタンリー・キューブリックの家のガレージに保管されていた。キューブリックは、それらのネガを誰にも見られないようにするという決意が固く、処分した。キューブリックの生前、要望にしたがって、それらは燃やされた。

『2001年宇宙の旅』の特殊写真効果に関わったダグラス・トランブルは、カメラが回された総時間は完成した映画の約200倍にも上ったと述べている。

なお、ダグラス・トランブルは、プレミア後の編集で失われた部分を2010年にワーナー・ブラザース・エンターテイメントが再発見したことを示唆した。

オーディオの模索

スタンリー・キューブリックは、非言語的で視覚とオーディオの体験をもたらす映画を作ることを意図した。そのため、音楽は『2001年宇宙の旅』で重要な役割を果たした。

キューブリックは作曲家アレックス・ノースに作曲を依頼したが、最終的な映画では使用されなかった。代わりに、既存のクラシック音楽が選択された。アレックス・ノースの未使用のオリジナル音楽は、映画とは別にリリースされた。

アレックス・ノースの楽譜は『2001年宇宙の旅』のために特別に作られたものだったため、一般のクラシック音楽よりもサウンドを用いて各シーンを演出する。したがって、クラシック音楽はキューブリックの目的により合致した可能性がある。キューブリックが使用したクラシック音楽は、アクションと正確に同期しておらず、単に周囲に流れている。

アレックス・ノースは、元々『2001年宇宙の旅』用に作曲したテーマを、1968年の『栄光の座』、1974年の『シャンクス』、1981年の『ドラゴンスレイヤー』といった他の映画で再利用した。

キューブリックはまた、フランク・コーデルにも作曲を依頼したが、最終的な映画では使用しなかった。フランク・コーデルの楽曲は発表されなかった。

エドウィン・アストリーにキューブリックからアプローチがあったと言われている。エドウィン・アストリーは、キューブリックが既存のクラシック音楽を気に入っている様子だったため、一時的なサウンドトラックをそのまま使うことを提案した。キューブリックはその方向で進めた。

キューブリックはまた、サイケデリック・ロックバンドであるピンク・フロイドに映画の音楽演奏のオファーを出した。ピンク・フロイドは、余分にもう一つ予定を入れるスケジュールの空きがなかったため、オファーを引き受けることが出来なかった。

「人類の夜明け」シーンで使用されたサウンドの一部は、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーが配給したもう一つの映画『モガンボ』用にアフリカで録音されたものだ。

映画の後半でHAL 9000が歌う『デイジー』は、1892年にハリー・ダクレが書いたもので、フルタイトルは「デイジー・ベル」(『Bicycle Built for Two』)だ。これは1961年にコンピューター(IBM 704 )が初めて歌った曲だった。

サウンドトラック:

『ツァラトゥストラはかく語りき』

『ソプラノ、メゾソプラノ、2つの混合合唱団とオーケストラのレクイエム』

『ルクス・エテルナ』

『美しく青きドナウ』

『ガヤネ・バレエ・スイート(アダージョ)』

『アトモスフェレ』

『美しく青きドナウ』

『ツァラトゥストラはかく語りき』

審美への砕心

スタンリー・キューブリックは、衣装から家具まで、デザインのあらゆる側面に注意を払った。

キューブリックのセットデザインの多くの要素は、主要なブランドから寄付されたものだった。セット用の家具やアイテムの中には、例えばデュポン、メイシーズ、ニコン、パーカーペン、ワールプール等のメーカーから提供されたものもある。IBMは、AIコンピューターが人に対して誤動作を引き起こすことを知るや、HAL 9000へのブランドロゴの提供を取り下げた。IBMのロゴは、映画の異なるシーンで見ることができる。映画に登場するカトラリーは、アルネ・ヤコブセンがデザインしたものだ。家具のデザイン、例えば、赤い椅子はオリヴィエ・ムールグによるものだ。台座テーブルはエーロ・サーリネンによってデザインされた。

映画の中でタブレットのようなデバイスを見ることが出来る。コンピューターが通常、巨大な箱型であった1960年代の時期に、テクノロジーアイテムの到来が首尾よく予測されていた。その後、Appleとの訴訟でSamsungは、タブレットと同様のデバイスが映画『2001年宇宙の旅』にすでに存在していたとして、GalaxyタブレットはiPadのデザインをコピーしていないと強調したが、Samsungの主張は退けられた。

キューブリックは当初、短編小説『前哨』に従って、ピラミッド型の透明なモノリスを作ることを計画していた。プレキシグラス製造業者にその要望を出すと、厚板の形状の方が四面体よりも冷却しやすいと提案された。透明な厚板をテストすると、セットとあまりうまくフィットせず、キューブリックは視覚的な結果に満足していなかった。そこでプロダクション・デザイナーのアンソニー・マスターズが、色をマットブラックに変更するようアドバイスし、キューブリックは同意した。

キューブリックは当初、猿人のメイクアップを用いた。しかし、メイクアップは俳優の肌に直に施されたため、アメリカ映画協会(MPAA)のX指定を避けることが困難だった。代わりに、キューブリックは俳優に、毛むくじゃらの猿のようなスーツを着て、2匹の本物のチンパンジーの赤ちゃんと一緒に演じるように要請した。

ダニエル・リクターは、アウストラロピテクスの部族の長である、月を見るものを演じた。キューブリックは主に、腕、脚、腰が細いスリムなダンサーとパントマイマーを猿人の役に選んだ。キューブリックは余分なファースーツで、B級映画に出てくる体格の良いゴリラのように見えることを懸念したからだ。キューブリックは、月を見るものの衣装を保持したと言われている。

キール・デュリアは、キューブリックのデビッド・ボーマン船長役の優先候補者だった。ゲイリー・ロックウッドがフランク・プール博士役を演じたが、候補者リストには例えばジョージ・ハミルトン、ヒュー・オブライエン、ジェームズ・コバーン、ロッド・テイラーといった他のいくつかの選択肢があった。

宇宙船といった一部のシーンは、模型と背景セットを使って撮影された。宇宙船の模型には、アルミニウム、真ちゅう、グラスファイバー、プレキシグラス、鋼、木材等、様々な素材が使用された。

マーシャル宇宙飛行センターの著名なエンジニアであるフレッド・オードウェイ博士とハリー・ランゲは、宇宙船、インテリアデザイン、宇宙服のデザイン等、あらゆる側面を支援した。

受賞を勝ち取ったエフェクト作り

『2001年宇宙の旅』は「アカデミー視覚効果賞」を受賞した。

それはデジタルエフェクトが映画製作で一般的になる前の時代のことだった。『2001年宇宙の旅』は、物理的・化学的手法を用いて製作された。多くのシーンがCGのように見えるかもしないが、コンピュータグラフィックスは使用されていない。

ライバルの猿を倒した月を見るものが骨を空中に投げた際にマッチカットが用いられた。それは宇宙の衛星に切り替わる。マッチカットシーンに使われた骨と核爆弾を搭載した軌道衛星は武器だと思われる。どちらも同様に細長い形をしている。骨は敵の猿を殺すために使用され、それは明らかだ。一つは原始的な道具であり、もう一つはハイテクだ。それは人間の進化とテクノロジーの進歩を示している。テクノロジーは大きな飛躍を遂げたが、人間の本能は夜明けから変わっていない。生き残るための能力と力を持つ手段を捜し求めるのだ。

アフリカや月面を歩く宇宙飛行士といったシーンは、再帰反射マットを使用した正面投影効果によって撮影された。この方法をこれだけ大規模な映画製作に用いることは革新的だった。その後の数十年間、多くの映画が同じ技術に倣った。

「木星 そして無限の宇宙の彼方へ」のシーンでは、ダグラス・トランブルがスリットスキャン・テクニック使って「スターゲート」の視覚効果を作成した。この成果は、後に他の多くの映画に影響を与えた。

無重力状態で漂う宇宙飛行士のシーンは、俳優を天井から吊るし、そのワイヤーを体で隠して撮影された。同じ方法が宇宙を背景にしたものと宇宙船内部のものに使用された。

回転セットは、ヴィッカース・アームストロング・エンジニアリング・グループが製造した。このセットでは、人々が無重力で歩くシーンを撮影することが出来た。カメラをセットに固定して、セットを回転させながら撮影した。費用は750,000米ドルを超え、総予算の約14分の1にもなった。

そのセット回転テクニックは、コメディアンのバスター・キートンによって1924年の映画「ザ・ナビゲーター」に採り入れられた。同じ手法が、1951年の『恋愛準決勝戦』でもフレッド・アステアによって使われた。これらの映画は全て、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーによって配給された。

『2001年宇宙の旅』は、サイエンス・フィクション映画、とりわけ未来的な世界づくりにおいて画期的だった。

謎の宇宙の比喩「モノリス」

月面のモノリスの名前「TMA-1」は「Tycho Magnetic Anomaly-One」の略だ。

不思議なモノリスは、映画の4つのエピソード全てに登場する。それぞれのモノリスは、人類を次の段階に到達させる。映画の中で、モノリスが何なのかは明確ではない。その謎を人々は調査するが、宇宙ミッションが失敗し、結論は導き出されない。

『2001年宇宙の旅』の小説版は、プロットが特定の部分で映画版とは異なるものの、モノリスのさらなる詳細を示している。優れた地球外生命体は、ツールとしてモノリスを使うのだ。異星人は宇宙のあちこちで原始生物が知的生命体に進歩するのを加速させる。

地球上のモノリスは猿の脳にアクセスし、知性の発展を加速させる。月のモノリスは、人間が宇宙を探索できるようになったことを知らせるために異星人に信号を送る。3つ目のモノリスは、宇宙を移動するための入口だ。モノリスからデビッド・ボーマンはグランド・セントラルという星間ハブに到着し、目的地に向かう。 4つ目のモノリスは、デビッド・ボーマンのベッドのそばに現れて、変容を誘発する。

暗号めいた黒いモノリスは、過去と現在と未来のつながりを暗示する。モノリスは、謎に満ちた宇宙の比喩だと言えるだろう。

人間のようなAIコンピューター「HAL9000」

HAL 9000は、宇宙船ディスカバリーワンのAIコンピューターだ。HAL 9000の「HAL」は、ヒューリスティック・アルゴリズム(Heuristic Algorithmic)を意味する。

スタンリー・キューブリックは、フランケンシュタインの影響を強調している。HAL 9000は、殺人を犯した人造モンスターに似ている。神の意志を超えた行為だと認識しながら、ビクター・フランケンシュタインが発明した怪物だ。

HAL 9000は、コンピューターの誤動作を引き起こす。宇宙ミッションの真の目的を宇宙飛行士に伏せる命令は、HAL 9000の透明で正確な情報処理の性質と矛盾し、パンドラの箱を開いてしまう。 HAL 9000のシステムは、人間的な感情を持つように設計されている。

HAL 9000の発明者は、シヴァスブラマニアン・チャンドラ博士だ。ヒンディー語でチャンドラは「月」や「ヒンドゥーの月神」の意。これは典型的な苗字でもある。シヴァスブラマニアンは「シヴァ神」を意味する。シヴァ神は、ヒンドゥー教の主神の1人だ。

最終的な映画では、ダグラス・レインがHAL 9000の声になった。キューブリックが満足いく結果を得るまで、声優は数回変更された。キア・デュリア(デビッド・ボーマン船長役)によると、ナイジェル・ダヴェンポートとマーティン・バルサムが雇われ、後に最終的にHAL 9000役を担うことになるダグラス・レインと交代した。当初、HAL 9000は女性の声と女性の性格を持ち、古代ギリシャ神話の知恵の女神にちなんでアテーナーという名前になる予定だった。

HAL 9000の誕生日は、1月12日だ。キューブリックは、9歳の子供と同様の年齢でAIコンピューターの死がより感傷的になるように、誕生年を1992年にしたいと考えた。しかし、アーサー・C・クラークは、宇宙船に搭載するコンピューターとしては古すぎると指摘した。クラークの小説では、1997年1月12日に設定されている。クラークの方が科学的に正確なように思える。しかしキューブリックは、それでも考えを変えずに元のアイデアに固執した。

HAL 9000の最初のインストラクターはラングリーで、小説ではチャンドラだ。アメリカの中央情報局(CIA)はバージニア州ラングリーに拠点を置いており、キューブリックはそこから取った可能性がある。

複雑な反響

『2001年宇宙の旅』のプレミア上映は1968年4月にアメリカで行われた。スタンリー・キューブリックは、出席者の反応を見るなり、プレミア上映された元の映画から約19分をカットした。その意図は、観客が注意を維持できるように、映画の流れるペースを引き締めることだった。ロードショーには、142分の最終バージョンが選択された。

多くの観客が、映画が何なのか疑問に思いプレミア上映を退出した。アーサー・C・クラークは、観客が『2001年宇宙の旅』を完全に理解しているとしたら、それは映画がその目的を達成できなかったということだ述べた。キューブリックとクラークは、彼らが答えるものよりも多くの問いを提起することを意図していた。

Ultra HD Blu-rayバージョンが2018年にリリースされた。これは、オリジナルのネガの8Kスキャンをに基にした4KHDRだ。オーディオは、DTS-HD MA 5.1でリミックスしリマスターされた。 2018年には、8K超高精細バージョンも日本で上映された。

キューブリックは、科学的に正確な宇宙映画を作ることを目指したと考えられている。しかし、いくつかの間違いが指摘されている。それらの中には、映画製作時に人間が有していた情報と知識の不足が原因で発生したものもある。

当時の高度なテクノロジーを用いて作成されたビジュアル体験は、最初の公開から半世紀以上経っても時代遅れになっていない。人類の進化と技術の進歩という大きなテーマは、技術革新の加速により世界が変化する中で、今日の人々が常に考えていることだ。

ペースは遅く、物語はしばしばあいまいであり、それは一部の観衆の気をそぐかもしれない。しかし、それは不思議に思わせる余地を作っているのだ。様々な解釈を与え、それが映画に深みをもたらす。純粋なエンターテイメントではなく、アート作品として見られるべきなのかもしれない。

メトロ・ゴールドウィン・メイヤーが映画『2001年宇宙の旅』の配給を開始した際、観客の反応は鈍く、MGMはショーをたたむことを検討した。しかし、若者が日増しに劇場に姿を見せるようにになり「スターゲート」シーンは特に人気があった。ヒッピーグループが劇場の最前列に座り、エンディングにかけて床にべったり座り、スクリーンからできるだけ近くで「スターゲート」を目にした。それは実に幻惑的な経験だった。

『2001年宇宙の旅』は再リリースを含めると、1968年の全ての映画の中で最も高い売上をアメリカとカナダで記録している。キューブリックは当初の予算の二倍を費やしたが、映画は興行的に成功し、大規模な予算の多くのサイエンス・フィクション映画が後に続いた。この映画は、長い時間を経た今日も私たちを魅了し、この先もずっと人々を虜にし続けるだろう。

主観的な意味

『2001年宇宙の旅』は非常に主観的であり、寓話的・哲学的な解釈は観衆次第だ。この映画は人間が文明化の半ばにあり、猿と超越した生命体をつなぐものだということを暗示していると、スタンリー・キューブリックは述べている。キューブリックは、神が何であるかという科学的な定義を構築することを意図したとも示唆。キューブリックは、神が主なコンセプトだが、伝統的なものではないとしている。キューブリックは無神論者だったと言われている。

『2001年宇宙の旅』は、人間が調査する神の謎を描いている。ここでは、人間が特定できない宇宙の高度なエネルギーと超自然的存在が神であると言える。キューブリックは、地球外生命が生物種から純粋なエネルギーと精神へと悠久の時間をかけて進化した可能性があると予測した。これらの生命体は、人間には神としか解釈することができないのだ。

デビッド・ボーマン船長は最後のシーンで赤ん坊になり、一部の観衆はそれをポジティブな再生の物語と見る。しかし、それを人間とテクノロジーの発展のネガティブな物語として見る人々もいる。キューブリックは、スターチャイルドが最後に地球を破壊しないと示した。しかし、より広い解釈を与えることが、キューブリックの意図だった。そのため『2001年宇宙の旅』のストーリーについて詳細な説明をしなかった。そのようにして、潜在意識の深いところで聴衆を掴むことを望んだのだ。

キューブリックは、デビッド・ボーマンが超越した存在に進化することを示唆した。アーサー・C・クラークは、エンディングシーンの解釈がスターチャイルドが新たな天国を創ることであると望んた。「スターチャイルド」が何を意味しているかは不明瞭であり、生命の輪廻転生から人類の劇的な進化まで認識は様々だ。

キューブリックは、観客自身の感情的な反応を否定するかもしれないと考えたため、エンディングシーンを含む映画の特定の詳細を説明することを拒んだ。しかし、キューブリックはエンディングシーンの基本的なプロットは説明している。

デビッド・ボーマンはスターゲートから時間と空間の別次元に引き込まれ、神のような純粋なエネルギーの存在に変わる。純粋なエネルギーの地球外知的生命体は、人間の動物園のような場所でデビッド・ボーマンを研究する。ボーマンは時間の感覚なしに一生を過ごし死に、強化された超越した存在に生まれ変わり、地球に戻る。18世紀フランス風のベッドルームは、デビッド・ボーマン自身の記憶と夢で創られた想像力溢れ芸術的な空間だ。

50年周年記念の特別イベント

2018年のカンヌ国際映画祭で「未修復」70mmバージョンのプレミア:
映画監督クリストファー・ノーランとワーナー・ブラザース・エンターテイメントは、2018年に製作50周年記念を祝い『2001年宇宙の旅』のオリジナル70mmネガの修復に取り組んだ。

2018年のカンヌ国際映画祭で初演を迎えた新たなプリントは、アメリカや日本等、世界中を巡った。カンヌ国際映画祭で『2001年宇宙の旅』が上映されるのは、初めてのことだった。

それは4K超高精細でリマスターされ、クリストファー・ノーランも関わった。

ホテルルームの展示:
スミソニアン協会国立航空宇宙博物館は『2001年宇宙の旅』の50周年記念となる2018年に「Barmecide Feast」展を開催した。それは『2001年宇宙の旅』を彷彿とさせるホテルルームだ。

出演者・スタッフリスト

キャスト:
キア・デュリア(デビッド・ボーマン船長役)
ゲイリー・ロックウッド(フランク・プール博士役)
ウィリアム・シルベスター(ヘイウッド・R・フロイド博士役)
ダニエル・リクター(月を見るもの役)
レナード・ロシター(アンドレイ・スミスロフ博士役)
マーガレット・タイザック(エレーナ役)
ロバート・ビーティ(ラルフ・ハルヴォーセン博士役)
ショーン・サリバン(ロイ・マイケルズ博士役)
ダグラス・レイン(HAL 9000の声)
フランク・ミラー(作戦管制官の声)
エド・ビショップ(アリエス1B型月シャトル船長役)
エドウィーナ・キャロル(アリエス1B型月シャトルアテンダント役)
ペニー・ブラームス(客室乗務員役)
ヘザー・ダウンハム(客室乗務員役)
アラン・ギフォード(プールの父役)
アン・ギリス(プールの母役)
マギー・ダボ(宇宙ステーション5客室乗務員役)
チェラ・マッシントン(宇宙ステーション5のターナー夫人役)
ビビアン・キューブリック(フロイドの娘アン役)
ケネス・ケンドール(BBCアナウンサー役)

スタッフ:
監督:スタンリー・キューブリック
プロデューサー:スタンリー・キューブリック
アソシエイトプロデューサー:ヴィクター・リンドン
脚本家:スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク
撮影監督:ジェフリー・アンスワース
フィルム編集者:レイ・ラヴジョイ
プロダクションデザイン:アーネスト・アーチャー、ハリー・ランゲ、アンソニー・マスターズ
アートディレクション:ジョン・ホースリー
セットデコレーション:ロバート・カートライト
音楽:アラム・ハチャトゥリアン、リゲティ・ジェルジュ、ヨハン・シュトラウス、リヒャルト・シュトラウス

プロット

異星人のモノリスは、先史時代のアフリカの原始的な類人猿の長である月を見るものを触発し、部族を生き残りをかけてライバルの部族に勝つように導く。月を見るものは、敵を倒すために骨の武器として使い始める。

時は20世紀後半まで経過する。アメリカ国家宇宙航行評議会は、議長のヘイウッド・フロイド博士を月面のクラビウス基地に派遣する。月に向かう途中、フロイド博士が宇宙ステーション5に滞在すると、ロシアの科学者たちは月面基地の状況に懸念を示す。

フロイド博士の使命は、極秘扱いの新たな発見を研究することだ。それは知的存在によって作られと思われる巨大な石版で、40億年前にクレーターティコ近くの月面の下に置かれたものだ。フロイド博士が調査していると、日光でモノリスは強い無線信号を発信する。

月面調査の後、アメリカは宇宙船ディスカバリーワンを木星に派遣する。デビッド・ボーマン博士とフランク・プール博士は、さらに人工冬眠中の3人の乗組員と共に宇宙船に乗り込む。

ディスカバリーワンを制御するAIコンピューターHAL 9000は、オペレーションのために宇宙船外にいるプール博士の酸素を遮断する。次に、HAL 9000は、人工冬眠中の3人の宇宙飛行士の生命機能装置を切る。

HAL 9000はボーマン博士を入れることを拒否するが、どうにかして宇宙船に戻る。ボーマン博士がHAL 9000を無力化すると、ミッションの真の目的がモノリスから木星に向けて発せられた無線信号を研究することだということを動画が示す。

ボーマン博士は、木星の周りに大きなモノリスを発見する。船外活動ポッドに乗り、さらに調べる。しかし、不思議な何かに引き込まれ宇宙を横断して、そこで奇異な光景を目撃する。後にベッドルームで歳をとっていることに気がつく。ベッドの近くに現れるモノリスに触れると、胎児のようなものに変貌する。そしてスターチャイルドは、地球を見下ろすかのごとく宇宙に浮かぶ。

著者:長田拓也 Takuya Nagata Amazon Profile

小説作家、クリエーター。ブラジルへサッカー留学し、リオデジャネイロにあるCFZ do Rio(Centro de Futebol Zico Sociedade Esportiva)でトレーニングに打ち込む。日本屈指のフットボールクラブ、浦和レッズ(浦和レッドダイヤモンズ)でサッカーを志し、欧州遠征。若くして引退し、単身イングランドに渡り、英国立大学UCAを卒業。スペイン等、欧州各地でジャーナリスト、フットボールコーチ、コンサルタント等、キャリアを積む。クリエーティヴ系やテクノロジー畑にも通じる。ダイバーシティと平等な社会参加の精神を促進する世界初のコンペティティヴな混合フットボール「プロプルシヴ・フットボール」(プロボール)の創設者。

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